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戦争遺跡全国シンポジウムで浅川地下壕のパネル展示


6月21日、戦争遺跡の保存と活用を論議する
「第2回戦争遺跡保存全国シンポジウム」
(主催・南風原町、戦争遺跡保存全国ネットワーク、
沖縄平和ネットワーク)が
沖縄県南風原町で開かれました。
「戦争体験の風化」が問われる中で、
平和に寄与する新たな継承の方法として
「戦争記憶の集結する戦争遺跡の掘り起こし」
と文化財指定を目的にするものです。
同時開催された「今に語る戦争遺跡展」に
「浅川地下壕」のパネルも展示されました。

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第2回戦争遺跡保存全国シンポジウム開催にあたり

南風原町長 城間 歳安


先の大戦で激しい地上戦が展開された沖縄県の中で、
本南風原町(当時南風原村)は、陸軍病院が置かれ、
多数掘られた壕ではひめゆり学徒隊の看護のもとに
傷病兵であふれ、
戦況が不利になってからは
重症患者は自決を強要された一方、
村民の約42%の尊い命が奪われた地です。

本町ではこのような悲惨な体験を
二度と繰り返さない決意を込めて、
県内でいち早く「非核平和宣言」を
しました(S,57年)。
戦争体験者が少なくなっている中で、
半永久的に沖縄戦を語り継ぎ得るものとして、
全国に先駆けて「南風原陸軍病院壕」を
戦争遺跡として文化財に指定しました(H,2年)。
そして現在、遺跡の保存・公開のあり方について
整備検討委員会を設け、
議論を重ねているところです。


このようなときに、
本町において戦争遺跡保存全国シンポジウムが
開催されることは、誠に有意義であり、
時機を得たものと思います。
このシンポジウムが成功し、
今後全国における平和のための施策が、
市民・行政一体となって充実するよう
祈念いたします。


21世紀を見据えた議論を願って……

沖縄平和ネットワーク代表世話人 吉浜 忍

第2回戦争遺跡保存全国シンポジウムが、
県内外の自治体や市民団体が
「南風原に学べ」を合い言葉にしている
戦跡保存運動ゆかりの地で
開催されることに感動を覚えます。

1994年に結成された沖縄平和ネットワークは、
沖縄の戦跡や基地の案内を活動の柱にしている
市民団体です。
1996年度は241団体54、974人
(内本土の高校修学旅行204校)を案内し、
その数は年々増加しています。

また、1995年・1997年に
沖縄県教育委員会に対して
「戦跡保存の要請」をしてきました。
文化庁が文化財指定基準を改正した1995年、
沖縄県も基準を改正し、
戦跡の文化財指定に道を開き、
さらには、今年から5ヵ年計画で、
全県の戦跡分布調査を
スタートさせることになっています。


それに昨年は、
「戦跡・基地ガイドブック
新歩く・みる・考える沖縄」を刊行し
評判と売れ行きは上々だと聞いています。

戦争を知らない世代が、
壕(ガマ)に入って、
本物の戦争が見え、
感性が揺さぶられ、
戦争認識につながっていくと言われています。
これが『壕(ガマ)の教育力』と
いわれるものです。
戦後建立された慰霊塔や記念碑では
この教育力は半減してしまいます。
21世紀になると戦争体験世代は
全人口の3割弱。
戦争体験継承のあり方も必然的に
ヒトからモノになってきます。
戦跡保存が大きな課題となるでしょう。
今回のシンポジウムでは、
真の平和教育のためにも
戦跡保存問題を真剣に考え、
21世紀を見据えた熱い議論が展開されることを
願ってやみません。



第2回戦争遺跡保存全国シンポジウムの資料より、
主催者のご挨拶を要約して
再録させてただきました。
城間町長のご挨拶からは、
このようなシンポジウムを自治体が
積極的に開すという行政の姿勢に
驚きを感じました。


吉浜氏のご挨拶からは、
沖縄平和ネットワーという民団体の
組織力と活動力に感心させられます。

浅川地下壕の保存をすすめる会のたちも
大いに勇気づけられます。

3 
戦争遺跡保存運動団体

 全国の戦争遺跡保存運動を進めている
団体の一部です。
「戦争遺跡保存全国ネットワーク」には
個人会員64名、19団体が参加しています。
戦争遺跡保存全国ネットワーク南風原大会アピールより抜粋

全国の戦争遺跡は数万と推定され、
その膨大な遺跡の調査と保存の実現には
相当の年月を必 要とします。
その間にも、遺跡の改変や風化は進んでいます。
わたしたちは国に対し、
緊急に 保護する必要のある戦争遺跡については、
これを優先して調査・保存し
史跡・文化財として指 定・登録することを
強く求めるものです。


地方自治体にあっては地域の戦争遺跡を、
地域の保 存団体、研究者・戦争体験者とともに、
地方自治の本旨に基づいて保存と
史跡・文化財への指 定・登録の術を講ずることを
強く求めます。
また、保存のための保存に終わるのではなく、
戦 争の真実を学び平和を
考えるための史跡として、
戦争遺跡をどのように活用するのかについて も、
広く市民の声を"きながら
積極的に対応することを求めるものです。

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各地の戦跡保存活動の紹介(2)

保存を求める市民の力で保存実現……指定文化財に!!

東京都東大和市
爆弾痕残す変電所&給水塔


東大和市は都心から30k圏にある住宅都市です。

市の南西部にある都立公園には、
奇跡的にも1945年の米軍の空襲での
爆撃痕を残したまま
半世紀にわたって稼働し続けた
軍需工場の変電所が、
市の指定文化財として保存されています。

壁面に無数の爆撃痕を残したままの姿で
建っている変電所と
同様の状態の給水塔(現在も稼働中)は
以前から識者の間では注目されていました。
20年前にも文化財専門委員会議で
文化財指定による保存について
結論を出しましたが、
当時の会社の同意が得られず
うまくいきませんでした。

保存実現は住民の想い

「 その後
変電所一帯が都立公園になる計画などもあり
市が保存に積極的姿勢を示すことは無かった」
(市の文化財保護行政に携わってきた方の話)
と言う中で保存を実現したのは、
地域住民の想いであったといいます。
この戦争で肉親や友人を亡くし、
またここでの空襲を実際に体験した人々が、
その記憶をいつまでも想いの中に留めるために
この変電所、給水塔を対象化し、
残そうという力につながったのです。

「戦争遺跡の保存」などというと
特別な考えを持った人たちの運動とも
思われがちで、
身近な事と思えなかったり、
また違う考え方を持つ人たちとの対立が
ありそうだとか、
とかく難しく考えられてしまいそうな
節がありますが、
本当はこの東大和市のように、
住民の気持ちを大切にする事が大切なのだ。
と強く思いました。
「平和運動」というもののあり方を
考えさせられる思いがします。


文化財にはなったものの

1995年10月1日、
変電所は東大和市の文化財として
指定されました。
東日本では初めての
戦争遺跡の文化財指定となりました。

建物の保存処理工事が行われ
建物構造や消防の監督官庁からも
文化財としての基準で
許認可を受けたのですが、
現在まだ屋上の耐久度が弱いという理由で
内部の公開ができず、
保存と公開を求める市民からの
批判が出ているそうです。

「保存」と一口に行っても
一度工事したからといって
永久に保存できるものではありません。

数年に一度は手を入れながら
文化財として維持していかなければ
保存とは言えないでしょう。
今のところ、
5年に一度の経年検査の予算も
付いていない状態のようです。
そういうことまで行政に訴えて
いかなければいけないのが
現在の状況のようです。

浅川の地下壕保存活動にも
色々な意味で示唆のある
お話ではないでしょうか。

(このページは送られてきた資料を基に
編集部でまとめました。)

地下壕とわたし・浅川地下壕物語(5)

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